
「保育園落ちた日本タ匕ね」と言われて早一年半がすぎましたがみなさんいかがおすごしでしょうか。
わたしは過去の記事の通り、一度は認可落ちしたものの2ヶ年計画による認可外滑り込みからの逆転認可ゲットを成し遂げており、一般的尺度から見たら順風満帆の保育園生活を送っているように見えるでしょう。
過去記事:
認可保育園は実際に良いことがたくさんありました。
入り口に雨を避ける屋根があります。部屋も広いです。おもちゃもたくさんあります。給食も弁当じゃなくなりました。園庭もあります。プールもできます。友達もたくさんできます。
これで何も問題ない……そうなるはずでした……
でも不満は無くなりませんでした。
この不満の矛先は特定の誰かではなく、時として保育園だったり、社会だったり、はたまた自分であったり、移ろうものです。
管理されてる感
前の園がこじんまりとした小さな園だったのに対して、随分と周りにいる児童の数が増えました。
わたしは仕事でソフトウェア開発をやっているのでよくわかるのですが、大人数でチームを組む時ほど、プロセスや指揮命令系統をきっちり固めないと組織が崩壊します。
保育士の数は法律で定められているので、園の規模が大きくても小さくても児童ひとりあたりの人数比率は変わりません。
しかし、大きな組織になればなるほど規則が整備され、各個人の業務上の守備範囲が明確に定められます。その結果、一人の先生あたりの裁量はどうしても小さくなります。
だからなのか、面談などで先生に話をしてもあまり響かないなと思うことが以前よりも多くなりました。
認可の保育園ほど運営母体が資本力のある民間企業だったりするので、全国にある保育園がそれぞれ支店のような位置付けになっていて、本社で決められた統一基準には逆らえないことがあります。
だから先生にちょっとした改善を提案してみても、『それは規則で決まっているので……』というようなリアクションをもらうことが多くなりました。
子育てを外注する罪悪感
そもそも子供を置いてまで仕事にいかなければいけないのか?という罪悪感もあります。
せめて幼稚園にあがる前くらいまでは、ずっと一緒にいてあげたい……そのような気持ちが根底にあるからか、自分だったらこうするはず、というような基準ができてしまって、どうしても保育園に求めるものが高くなってしまいます。
しかし、保育園はあくまで親が働いている間子供を預かることが主目的なわけですから、教育の側面はオマケだと考えなければいけません。
こればかりは、子供が誕生するまでに、自分が数年単位で職を離れてもその先問題なくやっていけるだけの貯蓄やスキルを身に付けてこなかったことの帰結であると言わざるをえません。
今思えば、時間にもお金にも余裕のあった独身時代、夫婦二人暮らしの時代に、どうしてもっと先を見た投資をしてこなかったのか、というのが悔やまれます。
まとめ
この先子供にはさらに時間もお金をかかってくるようになるはずです。
「このままじゃいけないよ」というのを気づかせてくれたのは他でもない子供自身なので、彼に恩返しをする意味でも自立して生きるための道を模索しなければなりません。