「息子は恋人」とか「娘は友だち」のような言いまわしを、昔に比べて最近よく聞くようになったと感じます。
自分が子どもの頃はそういった関係性をもった家庭は、まわりにほとんど無かったように思いますね。
表面的には、家族が仲良くすごせる時代になったということはいいことだなと感じるのですが、少々ひっかかる言い回しでもあります。
どうしてかというと、本質的には大人(主に親)と子どもは、利害が対立する関係であると言えるからです。
環境
大人と子どもが、それぞれ身の回りの環境に求めるものってなんでしょうか。
- 大人は、自分の手の届く範囲に日常で使うものが配置されていることを望みます。
- 子どもは、自分の手の届く範囲に日常で使うものが配置されていることを望みます。
全く一緒ですね。
しかし当たり前ですが、子どもと大人は体の大きさが違います。
大人の手が届きやすいところに置かれたものは、子どもにはなかなか取れないですし、子どもに届きやすいところに置かれたものは、低すぎて大人には取りづらいです。
美しいと思うものについてはどうでしょうか。
- 大人は、全体の調和が取れた部屋や家具の配置を好みます。
- 子どもは、ものの一つ一つに美しさを見出します。
これは反対ですね。
大人は環境全体を見渡して、バランスを考慮してものを配置していきますが、子どもはある一点を見つめて、それが興味深いかどうかでものに手を伸ばしていきます。
子どものこの行動は、興味を持ったものを次から次へと持ち替えていきますので、行き着くところはカオスです。
結果的に調和とカオスという正反対の環境を望んでいることになります。
時代
2015年時点の初産の平均年齢は30.7歳だそうです。
親と子どもは30年違う時代を生きると言って良いでしょう。
技術の大きな変化は約10年周期で起きるといわれますので、大人と子どもの間には約3回分の技術革新の溝があると言えます。
30年前の1985年は任天堂からスーパーマリオブラザーズが発売された年であり、前年はApple社からMacintoshが発売された年です。
携帯電話はショルダーホンと呼ばれる、平野ノラが肩にかけている大きさでした。
大学生の就職人気ランキング上位には、NEC、富士通、東芝、ソニー、パナソニックと、今や凋落の一途をたどる弱電産業が名を連ねています。
つまり、今大人たちが最高にイケてると思っていることは、30年後の子どもたちにとっては笑いのネタにすらなりうるということです。
そんなお笑い芸人のような相手から、勉強しなさいなんて真面目な顔で言われても、とても正面から聞く気にはなれないのはもはや仕方ないでしょう。
どんなにそれが大事だと伝えても、「大事だったのは、30年前の話でしょ?」の問いに答えることができなければ、子どもを本当の意味で動かすことができません。
そして意外にも、子どもはその時代の空気に敏感です。
大人達が熱心に支持しているものじゃなくて、ネットやマンガの隅っこで、あまり話題にはなっていないけれども先進的な考え方のものに目を向けます。
知識や経験の差で、同じものに目を向けても大人には敵うわけがないからです。
逆張りをして、それが30年後の世の中の主流になったとき、初めて子どもは大人に勝つことができるのです。
しかし、そんな彼らも、また30年後には脅かされる側に回ってしまうわけです。
まとめ
仲良くやるということと、違いを認めるということは別なのです。
仲良くやっているつもりだけど、違いを認めず、自分の思い通りに子どもをコントロールしようとすると、ひねくれた関係に行き着いてしまうわけです。
大人は知識と経験とお金と腕力があるから、子どもを一時的にねじ伏せることができますが、それを繰り返していると30年後には手痛いしっぺ返しを受けてしまうかもしれません。