ここ数週間、飲み会(NOMIKAI)が続いています。

というとリア充のように思えるかもしれませんが、わたしはまったく酒が飲めないということもあって、普段はあまりNOMIKAIには参加しません。

しかし、若い頃からの繰り返しの鍛錬により、シラフなのにあたかも酔っているかのような雰囲気を周囲にあわせて自在に表現できる能力を身につけるに至りました。

そのため、わたしにとってNOMIKAIの場は別に苦ではなく、人間観察の練習場だと考えて気が向いたらたまに参加しています。

 

空気・オブ・NOMIKAI

この日本独特のイベントは、不思議な空気に包まれています。

飛び交う質問はあえて抽象度が高いままに抑えられており、参加者の多くが具体性のある質問を投げかけることを避けます。

具体度の高い質問は、無粋であると受け取られ、場をシラけさせたり、時に批判の対象となったりします。運が悪いとそのまま飲まされたりします。

なんというか、各々が実は大したコンテンツを持っていないわけなんですね。

結局最後までツッコんで聞いても、「なーんだ」で終わることが大半で、薄いコンテンツを過剰包装でラッピングして、ちょっとずつつついて場を繋ぐことが求められます。

だいたい飲み放題の時間設定が2h前後なものですから、各々の薄いコンテンツをつなぎ合わせてそれなりにストーリー性のある2時間ドラマ風味に仕立て、起承転結をつけて最後に結ぶことでちょっとした満足感を得て解散に至るわけです。

NOMIKAIという2時間ドラマを作成した面々の顔には、まるで小さなプロジェクトを成し遂げたような仲間意識が芽生えるので、コミュニケーション促進の場として開催されることも多いです。

 

二次会(NIJIKAI)

だいたいは本当に聞きたいことがきけてないので、若干のモヤモヤ感が残ったことの解決策として二次会(NIJIKAI)という文化が生まれました。

多くのNIJIKAIは、先立つ一次会(ICHIJIKAI)のモヤが若干晴れて、もうちょっとツッコんだことを聞いてもよしとされる雰囲気が漂うのが通例です。

とは言ってももともとコンテンツが薄いものですから、言うほど驚きの事実が判明することは無く、惰性や消化試合的な位置づけに終わることが多いということで、近年急速に重要性が低下してきているイベントになっています。

そのためか、NIJIKAIに行く道で忍者のように気配を消し、いつのまにかいなくなる術を身につけている若者も近年増えてきていると聞きます(知らんけど)。

 

まとめ

若い頃はわたしも毎回のように義務感でNOMIKAIに参加していたものでした。

しかし、人生の生産性を重視するようになってからは基本的に10人を超えるNOMIKAIには自然と参加しなくなりました。

NIJIKAIに行く道のりでも、誰にも気づかれずに違う道に入る術も身につけました。

ここまでやっても特に日常生活には差し障りありません。