人と接していると、人生の振れ幅というものを感じることがあります。

要点としては、大金持ちになった人は、少し違っていればとてつもない貧乏になった可能性もあったし、ごくごく普通の生活をしてきた人はどう転んでも普通なんだろうなと感じる、ということです。

そこに優劣の差はなく、あたかも人それぞれにサインカーブのような浮き沈みが時間とともにやってきていて、今という瞬間はそれを切り取った一場面でしかないということです。

外国の文化にギャップイヤーというのがあります。

1年間くらいバックパッカーとなり、身一つでサバイバル生活をしながら世界を旅してまわるというものですが、これも人生の振れ幅を拡張としようとする試みなのかも知れません。

1度あえて底辺に落ちてみて、その中で次のチャンスの種を探す、そんな感じです。

 

育ち

大金持ちになるとか、どん底生活を送るとか、そんなレベルでなくても、広く庶民と呼ばれる層の中でもこの振れ幅の差は感じることがあります。

わたしの会社は全国の主要都市に支店があるのですが、東京育ちで地方の支店に異動を言い渡された女の子なんかは、人目もはばからず号泣したりします。

人口10万程度の地方都市のはずれで育ったわたしからすると「いやいや普通に都市だから……」と思うのですが、知らないことはやはり恐怖なんでしょう。

みんな振れ幅の少ない人生を目指すものですが、「それって幸せなのかなあ」と思うことも多々あり、悩ましいところです。

先日古くからの知人が急死するという出来事があり、人生の終わりというのは急に巡って来るものだなと痛感しました。

人生が終わる瞬間、カーブのどの位置で、どんな状態でいたいのか、考えたことはあるでしょうか。

急に人生が終わることもある一方で、平均寿命は伸びており、一生幸せとか一生底辺とか、そういう偏りも少なくなる時代になってきたようにも思います。

60歳まで安全無事に過ごすだけで、はたして残りの1/3の人生を幸福に暮らせるのか。

その辺りの感覚が、今を生きる若い人たちに焦りを感じさせている理由なんでしょう。

 

まとめ

半沢直樹のTVドラマでは、最後まで社内闘争を勝ちぬいた半沢が子会社出向を言い渡され、途中で敗れた浅野支店長がマニラ行きを命じられていました。

会社的にはキャリアの終わりということなんでしょうが、「正直マニラの方が楽しくね?」と思った若い人は、わたしだけではないのではないでしょうか。

既存社会の枠組みが提供してきた『ごほうび』が、これからの時代の感覚とズレて来ている、そんなように思います。