世界は非同期化が進んでいる。他人と時間や場所を共有する同期的な機会は、すべての人の人生においてより貴重なものとなり、この時間を無為に過ごすことは今にも増して嫌がられることになるだろう。

 

コミュニケーションの進化

言語がなかった時代、人間のコミュニケーションは対面でしかありえなかった。初期の頃はまるで動物の鳴き声のような合図か、ジェスチャーを使っていたのではないだろうか。

鳴き声は言語の発明により、複数の人に同時により多くの情報を伝えることができるようになった。

言語を書き記す技術が発明されると、乗せる媒体も粘土板から羊皮紙、紙へとより携帯性と耐久性が優れる方向へと進化しき、時間の経過を経てもより少ない劣化で伝達できるようになった。

言語による伝達と並行して、ジェスチャーのような、人の視覚に情報を乗せる手段も進化していった。

最初はのろしだったのかもしれない。人の視界の及ぶ範囲の遠隔地まで、一瞬で情報を伝えることだできるようになった。

のろしが信号弾となり、色や回数などで異なる意味を持たせることができるようになり、情報の密度が上がっていった。

 

光と電子の世界

17世紀に入って、電気が発明されたことによって情報の密度は劇的に向上することとなった。信号で伝えるには情報量が多すぎた言語を、電気に変換することで短時間で遠くに、これまでに比べて圧倒的に短い遅延時間で伝達できるようになった。

やがて0と1のデジタル信号が考案され、電気から光そのものへと信号を乗せることが可能となり、世界中に張り巡らされた光ファイバを通じて、この世で最も高速な媒体によって情報が伝達されるようになった。

 

同期から非同期へ

こうしてみると、人間の情報伝達は「より遠くへ・より早く」進化してきたことがわかる。

遠いところにいる相手に情報を伝達できるようになると、何をしているかわからない相手も即時的なコミュニケーションの対象となる。

しかし、その相手も同じようにどこか他の遠い誰かとやりとりをしているものだから、即時に情報を相手に届けることはできるものの、その取捨選択をするという受け手側の権利が強くなっていった。

コミュニケーションの主導権は、受け手側に移ったのだ。

 

まとめ

何が言いたいかというと、会議はやめましょうってことだ。

受け手側に時間と場所、両方を拘束を要求するなんてものは、最も人類の進化に逆行する行為だということを認識しよう。