
12世紀中頃のアラブ世界。
1146年に反撃ののろしをあげたザンギーが没し、せっかく奪ったエデッサをはじめとする領土もいくつかフランク人に奪還されてしまいます。
過去記事:
第一話 アラブがみた十字軍。
第二話 アラブの戦神と小さな希望。
しかしこの混乱は長くは続かず、ザンギーが獲得した領土は、2人の息子に分割統治されることになります。
このうち、西側シリアを受けついだのが次男ヌールッディーンです。
信仰の光
ヌールッディーンが父ザンギーの素養をきちんと継承していたことが、その後のアラブ世界に光をもたらすことになります。
即位したときは29歳、容姿端麗。戦場で2組の弓をもって軍団の先頭で戦う姿は、さながら映画ロード・オブ・ザ・リングに出演したオーランド・ブルームのようだったことでしょう。
性格も禁欲的で贅沢を嫌い、ザンギーと違って酒も断ちます。
父親の陽の部分だけを受け継いだように見えたヌールッディーンでしたが、狡猾さという武器も兼ね備えていました。
彼は、父親が各地で起こした扇動をシステム化し、宣伝機関として確立しました。
各地の礼拝の場に宣教者を送り込み、巧みな詩や書物を用いて、イスラム世界を信仰のもとに団結させるよう画策しました。
さらに優秀な戦略家でもあったヌールッディーンは、フランク人が奪還したエデッサで彼らが防備を固める前に反撃し、これを再度手中に納めます。
この事実と、流布された言説によってアラブ世界でのヌールッディーンの地位は、ザンギーの正当な後継者と目されるようになったのです。
第2回十字軍
エデッサ陥落の報を受けた西側諸国は、ドイツ皇帝コンラートとフランス王ルイ7世を代表とする、第2回十字軍を組織しました。
この第2回十字軍は、まず最初の攻撃目標をシリアの首都・ダマスカスに定めます。
ダマスカスはアレッポとならぶ沿岸近郊の大都市。
ヌールッディーンとしても周辺への足がかりとして、なんとしても欲しい都市だったわけなので、この都市をフランク人に抑えられるのは困ります。
しかし、幸いなことにその心配は杞憂に終わります。
このときダマスカスを納めていたのは、過去にザンギーとも何度も戦い、その度に退けてきた老練かつ不屈のトルコ人武将ウナル。
彼の最後の功績であろうのが、この第2回十字軍を老練な政治戦略でたった数日で撃破したことです。
このとき、フランク人たちはもう一枚岩ではありませんでした。
最初の十字軍から半世紀がたち、初期にアラブに入植したフランク人たちはもう半現地民化しています。
アラブで生まれた彼らの子供たちは、もう遠くヨーロッパの地を見たことすらないのです。
ウナルは、同盟を結んでいたアラブ諸侯だけではなく、エルサレムのフランク人も巻き込んで新参の第2回十字軍に政治的圧力をかけ、内部崩壊を起こさせました。
そして、さらにヌールッディーンにとって幸運だったのが、この勝利のあと間もなく、年老いたウナルが亡くなったことです。
空白地帯となったダマスカスを、ヌールッディーンは得意の宣伝工作を用いて説得し、争うことなく手中に治めることに成功したのです。
まとめ
ザンギーの死から約10年間、一瞬の危機に瀕したアラブ世界でしたが、ヌールッディーンという高潔な君主の存在と、年月が積み重ねたフランク人の弱体化もあいまって、ほとんど目立った争いが行われることもなく、国土の安定が築かれました。
この結果フランク人の領土は細長い沿岸部にのみ取り残され、援軍の目処も立たない。
一方アラブ人は積極的に攻め入る気配もないという、状況は一種の袋小路に入り込みます。
ところが、静かに万力のように高まり続ける圧力は行き場を求め、これまで登場することのなかった地域に向けて火種を巻き起こすことになります。
そして、その戦いの中から永遠に語り継がれるアラブの英雄が名をあげることになります。
次の記事:英雄の立身。偉大なる師匠。