前回の記事で、子どもに教える運動は彼らの内からくる自発的な欲求に沿ったものではなければならないということを述べました。

過去記事:モンテッソーリ運動論。生命を構成する赤と白の人。

 

少しばかり精神的な話になってはいましたが、子どもに命令して意に沿わないことをさせることは成長に結びつかない、ということを言っていました。

そして今回は、運動という課題に対して子どもが何を望んでいるのかというのを彼らの視点で理解します。

 

欲求

3歳ぐらいの子どもは、絶えず動き回っています。

人前でも見境なく動き回り、いろんな所に手を出す我が子を見て「うちの子は落ち着きがなくて……」と自嘲気味に語る親の存在は、どうやら100年の昔も今も変わらないようです。

しかし、この『人前では動き回らずおとなしくしてしなければならない』という暗黙のルールは、大人の中のルールであって、社会性が身につく以前の6歳未満の子どもには適用できないということです。

実は、彼らは本能から焦っているのです。

生涯のうち、外界の出来事を最も効率的に吸収できるこの特別な時期の終わりが、刻一刻と近づいていることに。

そして、いかにして多くのことを身につけられるかに対して、並々ならぬ欲求を持っています。

心理学者アドラーは、「人間は誰しも、優れた存在になりたいと望む」といいました。

それは、体力が尽きて眠りに着く直前まで、動き回り続けたいという欲求は尽きないのです。

 

身体的な制約

それから、彼らの体型についてもちゃんと理解していなければなりません。

子どもは、単に等倍で縮小された大人ではありません。

一般的に成人した大人は、身長を100とすると足の長さが50です。

それに対して、子どもの足の長さは、新生児が32で生まれ、3歳までに38までの伸びます。

その後7歳までに一気に成人を追い越して57まで伸び、そのあとは上半身の発達が顕著になり、徐々に成人の比率に近づいていきます。

だから、小さな子どもが走り回る理由には、ゆっくり歩くことがとても難しいという別の事実があることも覚えておかなければいけません。

自転車はスピードに乗ればバランスを保てますが、速度が低下すると倒れてしまいます。

それと同じことが、子どもに対しても言えるのです。

こういった子どもの体型ならではの制約が、他の行動の背景にも存在しています。

 

まとめ

子どもたちが動き回るのを見て、『社会性が身についていないことからくる、幼稚な行動』ととるようでは、教育者として失格です。

同じ振る舞いをみたとき、落ち着いてその背景を分析してはじめて、『成長への欲求と、身体的な制約からくる、合理的な行動』であると気づくことができます。

それには、子どもに対する知識と冷静に分析する力、客観的な視野、寛容な心などが必要です。

なかなか一筋縄にはいきません。