社会に出て10年も経つと「学校」という場所のことをすっかり忘れてしまいますが、この前ふとした機会に学校に遭遇することがあったので、色々と思い出しました。

わが子もあと5年もすればあの忌まわしき場所に送り込まなければならないのかと思うと、末恐ろしいです。

 

子供たちを縛る空間

クッションのない固い木のイスに、ガッチリと固定された背もたれ。

狭い机の下のポールに、つま先を揃えてしまわなければなりません。

繋ぎ合わされた木のフローリングには、机の足を揃えるための目安のシールが貼られています。

壁には規則正しい姿勢のモデル図が透明人間みたいな生徒の絵で描かれ、「こうしないと背骨が曲がりますよ!」と先生から脅されます。

こんな居心地の悪い椅子と机、学校以外に存在しますか?

取り調べ室でももっとマシじゃないでしょうか。

 

校則の番人である教師たちも、子供たちが閉口する原因です。

カチカチに決められたルールに従順に従うことが正義とされ、そのルールが適正かどうか、疑うことをしません。

今やルールに従うだけの人材は社会では評価されないってこと、先生たちは知っているんだろうか?

 

授業では相変わらず暗記ばかり。

クイズ番組でしか使われることのない知識を覚えて、一体なんの意味があるというのでしょう。

ググれば一発でわかります。

 

学校と世の中のギャップ

わたしも子供ながらに気づいていました。

おそらく他の友人たちも気づいていたでしょう。

でもこれは、30年前の話です。

あれから30年たって、学校は変わったのでしょうか?

 

このような規律に従うことを価値とする組織は存在しないことを、いまの子供たちが気づくのは社会に出てからでしょうか。

でも、それではもう遅すぎる時代になってきているのです。

 

まとめ

廊下を走ることを叱る大人が、人で混雑する駅のプラットフォームを走る。

こうした大人の本音と建前を子供たちは鋭く観察します。

どんなに取り繕っても、子供たちの目は騙せません。

今の世の中の本当の姿をよく理解し、子供たちの目線から正直に伝える。

それが大人の役割です。