「石の上にも3年」のことわざに象徴されるような、自分が好まない環境でもまずは3年も取り組んで見れば何かがみつかるはず、という日本人がこれまで美徳としてきたような価値観が、本格的に変わってきたように思うのはわたしだけだろうか。

 

時代の流れ

日本の経済は、元気がないと言われて久しい。

特に、日本の優秀な頭脳が集まっているはずの政府や大企業から画期的な政策やビジネスが生まれたというニュースは昨今ほとんど聞いたことがない。

同じ志を持った人材を集め、家族的仲間意識の中で多少嫌なことがあっても耐えながら、ものごとを成し遂げて行くというスタイルは、今の20代30代の若い人たちの間でも根強い人気があるようにわたしは感じている。

これがどうしてなのかはわからないが、ワンピースのような「絆を重視し、どんなにつらい出来事があっても裏切らない仲間を持つこと」が美徳とされる価値観が支持を得ていることからみても、国民性なのかもしれない。

この人もお気に入りのようだ。

なんだけども、いまの世の中はこれがどんどん合わなくなってきているように見える。

ITが広く世界中に浸透し、全体の情報リテラシの底上げがされた現代は、人間本来がもつ「人それぞれ」という特徴がより際立った形に映る。

そのような多様化が進んだ世界においては、小さくはじめて、少しでもダメだと思ったら早急に手を引くというトライ&エラーの思想の方が時代にあっているといえるだろう。

 

逃げは甘え?

一度引き受けてしまった仕事や、はじめてしまったサービスからは簡単に手を引けないという考えを持つ人も多い。

少なくても「使ってくれている人がいる」という感謝の気持ちからなのか、どんどん減って行くユーザー数を見てもなかなか撤退の判断ができない。

やめるということは、そんなにも勇気のいることなのだろう。

企業などにおいて責任ある立場にいる人ほど、正義感からなのか逃げの一手をひどく嫌う傾向があるように思える。

売り上げが上がっていないサービスでも「やめるわけにはいかない」というセリフを上司から何度聞かされたかわからない。

改めて「どうしてですか?」と聞くとそんなに確固たる理由はなかったり、もしくは単に「やめ方がわからない」だけだったりする。

 

まとめ

「はじめること」を過剰に美化するよりも、「やめること」をまず始めることで本当に必要なことが見えてくるのかもしれない。

「はじめること」が重要な事実は変わらないと思うが、多くの「はじめたこと」に埋もれて重要なことが見えづらくなっているように思えた。

 

孤独論 逃げよ、生きよ

田中慎弥 (著)