私の息子は現在1歳と10ヶ月ほどになるが、時折ふたりだけでお出かけをしている。

父親と子供

最近はイクメンという言葉がもはや古く感じるほどに、育児に参加する男性というのは当たり前の存在になったと感じる。

しかし、「参加」という言葉が表すとおり、まだ父親という存在は育児の中心の外側にいる。外側から輪に入ってくるから「参加」となのだ。

ママとの間に割って入ろう

母乳を飲む期間が終わると、母親が子供の面倒を見なければならない物理的な要因は一切なくなる。

この時期を目安に、父親と子供というふたりだけの時間を、だんだんと増やしていくことをオススメしたい。

最初はふたりでおるすばん、というのでもいいが、できれば外に出てみよう。

慣れてきたら、電車や車に乗ってちょっと遠くまで出かけてみよう。

もっと慣れたら、新幹線に乗って泊まりでおじいちゃんおばあちゃんに会いに行こう。

不安をかなぐり捨てる

初めはとても不安だ。なにせ、一緒に過ごした時間はママと比べて、多くの場合圧倒的に少ない。なので、どんな事が起こるのか想像もつかないし、起きた時に果たして対応できるであろうか。

ただ、これはママも歩んできた道だ。

育児に一般論はあるが、子供によってそれぞれ違うのだから、それぞれの母親と子供が全く新しい道を歩んで来たと考えた方がいいだろう。

そして、父親に任せるということは、ママにとっても不安だろう。

コトが起きた時に対応を誤っていやしないか、心配になるだろう。

しかし、きっと大丈夫だ。

子供が助けてくれるからだ。

子供だけが知っていること

今までちゃんとお世話してくれたママと、若干間違っているかもしれない父親。

そんな2人の違いを唯一知っているのは子供本人だ。

彼らは初め、しゃべることは出来ないが、その目や泣き声でいろんな合図を送っている。

これはOKこれはダメ、そんな声なき声に耳を傾けよう。

また、子供の方も父親の様子をよく見ている。

いつもと違う場所、ママがいない、不安そうな父親……。

そんな状況を察してか、いつものワガママも今日は控えめに見える。

彼らももう一人の人間であり、周りの状況に合わせて対応を変えることが、少しずつであるが着実に、できるようになっているのだ。

まとめ

電車に乗って出かけた折、並んでふたりシートに座って窓の外を眺めていると、ふと遠い昔から知っていた兄弟だったかのような気分になった。

そう考えると、目の前で起きるすべてのことを、不安ではなく楽しさとして感じることができるようになったように思った。