「天才と発達障害」という本を読んだ。
“認知”といのは人間が外部からを情報を取り入れること自体を表し、その方法には個人個人の癖があるよ、というお話。

天才と呼ばれた人々は、この認知の方法がものすごく偏っていて、ある分野では凡人には考えられない能力を発揮するのだけれども、一方他の分野ではからっきしダメなんだそうだ。

視覚優位・聴覚優位

認知の特性には個人差があり、「視覚」を使うのが得意なタイプと、「聴覚」を使うのが得意なタイプに分けられる。
時間の人と空間の人だ。
それぞれの代表者として、サグラダファミリアの設計者アントニオ・ガウディ(視覚優位)と、不思議の国のアリスの作者ルイス・キャロル(聴覚優位)が紹介されている。

 

神の建築家 ガウディ

聴覚は視覚ほど完全なものではない。時間を必要とするからである。空間の諸芸術は時間のそれらより優れていよう。

ー アントニオ・ガウディ

ガウディは生前から人によって認知方法に違いがあることに気づいていたようで、視覚で全てを捉えることこそが、表現者として優位であるとはっきり述べている。
聴覚による認知は聞こえた言葉や音楽、呼んだ書物などの情報を時間を追って処理していく必要があるため、人間の記憶という不確実な要素に頼る必要が出てくるから、ガウディにとっては不確かなものだったようだ。
彼の集大成でもあるサグラダ・ファミリアも、おそらく彼の頭の中にだけその完成図があったに違いない。
自分は細部まではっきりとイメージできるのに、他の人たちはそれについてこれないことに苛立っていたのかもしれない。
認知の方法には向き不向きはあっても優劣はないと言われているから、どうやら随分と頑固者だったようだ。
皮肉なことに、ガウディが亡くなるきっかけとなった交通事故も、横から迫ってくる路面電車に気づくのが遅れたという、聴覚認知が不得意であったことに起因しているという説もある。

 

子供のような心をもつキャロル

駅長は駅に気を配り、おやつを出さなければならない。駅長は言う事を聞かない者を汽車が庭を一周する間、監獄へ入れることができる。彼はベルを鳴らして客を席につかせ、ゆっくり二十数え、しかる後に出発進行のベルを鳴らさなければならない・・・・・・客はいかなる理由があっても線路に入ってはならない。親は子供の面倒をみること。汽車の進行中に汽車に入ったり、出たりしてはならない。料金分として運転士を除く全ての客に等しくお金が渡されるので、親になった者はその子供の分もとっておくこと。お金のない者は停車場のどれかで働くこと。

ー ルイス・キャロル

いきなり何の話かと思うかもしれないが、幼少のキャロルが考えた遊びらしい。
きわめて手続き的で、法律の条項のようだ。聴覚優位者は、時間を追って物事を考えたり、理解するのが得意なようで、何かをやったら次はこれ、というような逐次的処理を好むらしく、その特徴がよく表れている。
キャロルは重度の遺伝的な吃音障害(どもり)を持っていたようで、大勢の人前で話すことが苦痛だった。
その代わりに、空想の世界に浸るのが好きで、アリスのモデルとなる少女に話して聴かせた物語が元となって、不思議の国のアリスが完成した。

キャロルの逐次的な話の展開の仕方が、児童文学の表現方法によくマッチして、不朽の名作となった。

 

まとめ

ガウディは、視覚で捉える人を空間の人・聴覚で捉える人を時間の人と読んだが、この表現がすごく的を射ていると思う。

「自分はどっちかなー」と考えたり、仕事でなかなか話を聞いてくれないあの人も、視覚に訴えたら変わるかも!と考えると面白いかもしれない。