♪じゃくじゃくじゃーく、あまのじゃーく♪ という歌があるように、もうすぐ2歳になるわが子もわがままを発揮するようになってきました。

これもアドラー心理学でいう『手っ取り早く注目を引くことで、特別であろうとする行為』なのですが、今回はそれは横に置いておいて、これをされた時に与える制裁について考えてみようと思います。

なお、現在わが子が実行している技は、お食事中にスプーンをぶん投げるというものです。

制裁を発動する

実をいうと、彼はこれまでも幾度となく同じ行動をしてきていました。

しかし、最近はあきらかにわざとやっている感が伝わってくるので、そろそろ制裁を発動してみることにしました。

現在やっているのは、食事中に一度でもわざとスプーンやフォークを落としたら、食事を終わりにする、というものです。

 

お食事ヌキ!という制裁

実はこの制裁については、やっておきながらかなり心が痛んでいます。

時として親は、何としても力づくで子供に言うことを聞かせようとすることがありますが、これができるのは衣食住を保証しているからなのですね。

逆に言ってみれば、子供に衣食住を保証しないのであれば、子供に命令する権利はないということになります。

お食事ヌキ!という制裁はこの「食」の一部を保証しないことにあたり、わたしの中ではかなり重いものだと感じられます。

これは過去に実際自分がされたことがあった経験から、そのように思うのかもしれません。

大人から見ると、1食分食べなかったからと言って身体的なダメージがそれほどあるわけではないと思うのですが、子供は予想以上に精神的ダメージを受けているかもしれません。

しかし、それだけこの制裁が効果が高いということになると思います。

 

子供に対してフェアかどうか

さて、制裁の中身について見てきましたが、これを発動させるには『約束を破った』という事実が必要なわけです。

約束というのは事前にとりかわしておくものです。

はて、親であるわたしたちはちゃんと子供と約束を交わしたでしょうか?

わたしたち親は、時として『どう注意したら、言うことを聞いてくれるか』という制裁の効果の側面にばかり目が行きがちです。

しかし、子供は何のルールも存在しない無から誕生してきたのです。

同じ空間に存在しているからと言って、同じルールを無条件に適用していいわけではないのです。

社会のルールを丁寧に説明してはじめて、それを守ったかどうかを評価する権利が生じるということですね。

説明は言葉だけでなく、ゆっくりと呼吸を整えて、はじまりの動作から終わりの動作まで、丁寧に集中できる環境で再現して見せて、はじめて伝えたことになるのだと思います。

 

まとめ

子供を一人の人間として接する、ということかなと思います。

あたかも新人に仕事を教えるかのように、対等な大人の関係で接することができれば最高でしょう。