
11月に入ると早いもので、いたるところにクリスマスツリーが出現し一気に雰囲気は冬らしくなってきます。
子どものクリスマスプレゼントを何にしようかなーなんてありきたりなことを考えていると、ふと子どもが一番喜ぶプレゼントはいったい何だろうかと考えるようになりました。
記憶を辿ってみる
では自分が子どもだったころ、もらって一番うれしかったのは何だったでしょう。
しかし、思い出そうとしても、そもそも何をもらったかすら思い出せないのです。
毎年もらっていたはずなので、少なくとも10個以上はあるはずなのですが……。
覚えていないということは、あまりうれしくなかった、ということなのでしょう。
唯一覚えているのは、ラジコンをもらったことです。
これなら腑に落ちるでしょう。
男の子は動くものや操作できるものが大好きですから。
しかし、もらったことが記憶にあるわけではないのです。
記憶にあるのはラジコンを動かして遊んでいた場面ではなくて、動かなくて四苦八苦していた場面の記憶です。
未完成であること
なんで動かなかったのかというと、単純に電池がなかったからです。
今年のプレゼントはラジコンだウワーイという感動から、電池が付属していなくて動かない!というモヤモヤ状態にあっという間に突き落とされます。
近くにコンビニがあるような都会でもなかったですし、お金もないですから、電池を買いに行くのはどうしても親の協力が必要になってきます。
親というのはなかなか動いてくれなくて、何かをお願いするだけでも交渉になります。
なわとびを200回やったら連れてってあげるとか、そういう条件が付いてきますから、とにかく時間がかかりました。
そうして苦労して手に入れた8本の乾電池を入れてラジコンを動かしてみるものの、ラジコン用の電池でなかったため、パワーが足りずあっという間に止まってしまいます。
そうなるとまた交渉で、今度はもっと高価なラジコン用乾電池と充電器をおねだりすることになります。
当然値段も上がるので、お年玉まで待ちなさいということになります。
さらに、何日か練習しなければできないような、サッカーのリフティングを100回やったら買ってあげるとか、より難しい課題を要求してきます。
そして、晴れて準備は整って思う存分動かせたのはクリスマスから1週間以上がすぎたお正月あけのことです。
しかし不思議なことに、それ以降の記憶はほとんどないのです。
プレゼントは親の時間
ラジコンは紛れもなくプレゼントでしたが、動かして遊びたいという子どもの要件は満たせておらず準備に多大な時間を要してしまいました。
はたから見ると親の考慮不足にも思えますし、当時もそう思いました。
でも、仮にプレゼントを開けた時にすべての準備が完璧に揃っていたら、今のように思い出すことができたでしょうか。
多分、思い出せなくなっていたでしょう。
そして、ラジコン以外の全てのプレゼントは完成品だったのでしょう。
その結果、開けた瞬間にすぐに満足して、もう何をもらったかすら思い出せなくなりました。
まとめ
親がそのように仕組んだとはとても思えませんので、単純に考慮していなかっただけなんじゃないかと予想します。
しかし、この経験から言えることは親が時間を使ったという事実が、子どもの記憶に与えるインパクトはとても大きいということです。
今風の気の利いた父親であれば、細部まできめ細やかな心配りで、電池のみならず、悪路走行用のスペアタイヤや、泥を落とすクリーナーなんかも用意してしまいそうなものです。
しかし、子どもと一緒に四苦八苦する時間を作れそうな未完成品の方が、プレゼントとしての質は高いということです。