わたしの生まれは人口10万人に満たないほどの地方都市でした。

最近合併があってやや人口が増えたものの、昔と大きくは変わっていません。

人口10万人というと、全国約800ある市レベルの自治体の中では200〜300番目あたり。

人口密度で比べるとちょうど真ん中の400番目あたりですので、まさに日本のまん真ん中といってよいでしょう。

わたしはそのような街の、中心部からバスで30分ほどの市の外縁部で育ちました。

都会などとはとても言えないけれども、田舎といえるほど自然も風情もない、そんなところです。

まわりには程よく間隔の空いた民家、畑、田んぼが広がり、家の目の前には、ひと昔まえまで日本の大動脈だった国道1号線(現在はバイパスができて県道に格下げ)が横たわっています。

ロードサイド、と言えるほどお店もありません。

都会、田舎、地方都市、ロードサイド……世間のどのレッテルをも貼られることがない、ぽっかりと空いた名もなき街です。

 

重力の坂

わたしの実家は、面している道路に向けてゆるやかに上り坂になっています。

この坂は、長さは5mほど、高低差1mほどのほんとうにゆるやかな坂なのですが、実家で暮らしていた時代、わたしはこの坂を登るのに背中に強大な後ろ向きの重力を感じていました。

歩道に出たあとも、この坂の重力は健在で、引き寄せられます。

歩き始めて、家が視界から消えるにつれて、徐々に重力は弱まっていきますが、同じところにしばらく止まっていると、また少しずつ重力を感じるようになります。

高校生のわたしはこれが嫌で仕方なく、その想いを振り切るかのようにはるか遠くの大学を選びました。

それから就職して東京に行き、社会人として落ち着くまでの10年あまりの期間、重力を全く感じない生活をしてきました。

しかし、子供が生まれてからでしょうか。またこの重力を感じるようになりました。

 

重力の正体

わたしは長らく、この重力の正体がわかりませんでした。

ただ一つわかっていたことは、重力を感じる時に共通していたのは、自分が弱いように感じているときだったということです。

そのため、弱さを克服すればこの重力を感じることはない、そう思って10-20代を過ごしてきました。

重力を感じなくなった20代後半は、ある意味全能感に満ちた時代だったと言えるでしょう。

しかし、30代に入ってから感じた重力はいままでとはちょっと違いました。

20代後半の自分と比べても弱っているという気はしません。

むしろ、以前よりも仕事の裁量も増え、子供にも恵まれ、輝くような日々をすごしていると感じています。

 

重力、それは幸福の裏返し

先日子供と実家に帰った時、フラフラと走り回る子供を追いかけてこの坂を登りました。

軽やかに駆けていく彼に対して、わたしの足どりは重く、なかなか追いつけません。

道路に飛び出しそうになった彼をとめたのは妻でした。

その時、わたしはこの重力の正体がなんなのかという疑問に答えを見つけました。

 

幸福、それが重力の正体でした。

 

今、わたしはこれ以上ないほど幸せを感じていて、今の状況が永遠に続くことを願っていたのです。

人生最大の幸福というのはよいように聞こえますが、逆に考えるとこれから先は不幸になっていくしかない状態と言えます。

事実、曽祖母の介護や子供の成長への期待と不安、両親の老衰など、行く先には多くの悩みが横たわっています。

 

実家で子供時代を過ごした時期も、幸せだったのでしょう。

しかし、将来に待ち受ける厳しい受験競争や就職難の時代が見えていたんだと、今考えてみると思います。

 

まとめ

この先不幸になるばかり、というのは『何もしなければ』の話です。

つまり、何かを始めなければいけないということです。

わたしがこのブログを始めたのもその理由が根底にあったのかもしれません。

結局、若かりし頃の自分と同じように、幸福に満ちた『凪』の時期に重力を感じたのなら、その重力にあらがっていかなければいけないということなのでしょう。

それが、10年後にまた幸せを感じられるための必要な条件のように思います。