子供と接していると、普段は温厚な人でも、彼らの傍若無人なふるまいについイラッときてしまうことがあるのではないだろうか。

 

どうしてイラッとくるのか

人間、イラッと来るのは大抵思い通りにいかないときだ。

子供ができて、世間的にも公式に「親」として一人前の人物と認定されたような気になってはいても、ちょっと前まではその辺にいたあんちゃんだったのだから、ちょっとでも何かあったらイラッとこないほうがおかしい。

急に聖人君主にはなれないのだ。

それを受け入れた上で、どうしたらもうちょっとマシになれるのか、前向きに考えてみよう。

 

その要求、高すぎない?

子育てにおいて思い通りとは、大体が子供の将来を思うがため、というところを出発点にして描かれた理想像が根底にある。

だから、「あなたの将来を思って」今はこうしてほしいだとか、これは我慢しなさいだとかいうことになっている。

しかし、子供の側はそんなことを知るよしもないものだから本能の赴くまま、したい放題暴れまわるのである。

親の理想像とは、大体が自身が子供の頃に受けた教育に根差している。

そして、多くの親が子供の頃言われて、ちゃんとできなかったこと、自身ができたよりもちょっとハードルが高いところを子供に要求する。

自分ができていなかったことを、どうして自分の子供ができると思うのだろうか。

子供にイラッと来てしまったら、一度立ち止まって考えてみよう。

 

子供は驚くほど親を見ている

「うちの子ホントに言うこと聞かないのよ…」というのは恐らく、過去1000年以上にわたって言われ続けている親の愚痴だろう。

これに関しては、当たっていると思う。子供は親の「言うこと」は聞かない。しかし代わりに、親の「すること」は非常によく見ている。

自分が注意を払っていない時、油断してだらだらしているとき、子供がどうしているか見たことがあるだろうか。

ハッと振り返ってみると、ジーっと見ているときがある。

子供は外界のことに非常に興味があるものだから、普段と違う親の様子などにもとても敏感だ。

そういった一連の親のしぐさをみて、本音と建前を見分けてくるのである。

 

子供を一人前の人間として扱おう

まだ子供だからといって、ナメてかからないことだ。

観察力や模倣する力は大人よりも優れているかもしれない。

彼らも小さいだけで、立派な知的生命体であることを認識しよう。

そう考えれば、強く言えばなんとかなるとか、力づくでねじ伏せようだとかいうことは思わなくなるはずだ。

 

まとめ

私も普段温厚な方だが、まだ未熟なのでイラッと来ることも度々ある。

そういうときはなんとか心を落ち着かせて、今自分の子供がしでかした行為が世の中にどれ程の影響があるのかということを考えるようにしている。

このような癖をつけておけば、例えば自分の作ったこだわりのチャーハンをお皿ごとひっくり返されたとしても、宇宙の謎と比べれば些細なことだとイライラを鎮めることができる。