
本を読む、ということは世間的にはとても認知されている行動であり、自分がよく本を読んでいるということを親戚のおじいさん世代に話したりすると、賞賛されることがよくあります。
何十年も世代が離れていると、なかなか価値観があわないのが普通なのですが、本を読むという行為に関しては世代を飛び越える力があるようです。
本を読むということ
社会人になりたての頃、当時の先輩によく言われたのが、本を読め!ということでした。
まぁ他にも色々なことを言われたので、その中の一つにすぎなかったのかもしれませんが、他はほとんど忘れてしまい、「本を読め!」の一点だけが未だに自分の中に残っています。
これだけが自分の価値観と一致したのでしょう。
そういえば「とにかく金を使え!」というのも言われましたが、こちらは今でも全く同意できませんね。
本というのは、著者の人生のある時点でその経験から出た上澄みの、本当にコアな部分だけを凝縮したようなものだと言えます。
著者は自分の人生から得た理解や教訓をさまざまな観点から分析し、数百ページに及ぶ文章で伝えようとしています。
出版に至るまでには同じ分野で専門知識を有する専門家の文献や意見も咀嚼し、第三者のレビューも受ける必要があるので、品質はある程度保証されていると思ってよいでしょう。
そして、その中に書かれていることは、時間軸をもつ人生の中でのある一時の出来事なので、著者が後から振り返ったときに、少し違ったなと思うことも多々あるとは思います。
とはいえ、ある一時においては紛れもない真実であり、それと同じ状況にいる読者にとってもまた真実であると言えなくもないはずです。
だからこそ、本というのは、自分が著者と同じ目線に立った時におのずと手に取りたくなるものなのです。
何から手をつけていいかわからない時
「本を読め!」と言われた当時、書店に行って見たところで何から手をつけていいか途方にくれた記憶があります。
重要そうなのはわかっているけど、どうにも興味がわかない。
そんな思いがありました。
今思うのは、無理して読まなくてもよかったということです。
今では、本を読むことが自分の人生を豊かにするものだと確信できているのですが、それはあくまで一つの手段にすぎません。
本を読むことが人生を豊かにする方法の一つだとは思いますが、人生を豊かにするために絶対本を読まなければいけないということはないのです。
読書をするということは、自分の知らない世界を知りたい、知識を得たいという欲求が形となって現れた行為なのです。
自分の人生で体験したことのない領域にどうしても興味が向いた時、自ずと本に手が伸びるはずです。
つまり、何かを変えたいと思った時、他人の人生が凝縮された本という刊行物は、非常に頼れる道しるべとなるのです。
まとめ
思い出してみれば、読書に興味が持てなかった時ほど、仕事や生活に対して変える必要性を感じていなかった時期だったなと思います。
そのような時期に手に取った本は、タイトルすらほとんど記憶に残っていませんね。