最寄りのモンテッソーリこどもの家に見学に行ってきたので、紹介したいと思う。

モンテッソーリ教育とは?

モンテッソーリ教育とは、約100年ほど前にイタリア人医師マリア・モンテソーリが提唱した幼児教育法で、初めは3-6歳を対象として始まった。

といってもいきなり始めたわけではなく、マリア・モンテッソーリが医師としての研究の一環で障害を持った子供の発育を観察していた際に、多くの子供に共通する発育の規則性があることを見出し、それを助ける方法を組み上げたところから発展していった。

そして、そのメソッドは障害児だけでなく、一般の児童にも応用が効くことがわかったところから世界的に広がったのである。

こういった新興の教育法はオルタナティブ教育と呼ばれ、他にもシュタイナー教育とかサドベリースクールあたりが有名であるが、その中でもモンテッソーリ教育はお勉強系とかお仕事系とか言われている。

なお、100年も経っているのに新興?と思うかもしれないが、今の日本の義務教育は、古代中国の科挙(役人登用のための一斉試験)や大英帝国時代の教育法をベースに発展してきたものなので、それと比べるとまだ新しいことがわかるだろう。

一般の教育法との違いは?

今回見学に行った「こどもの家」は、モンテッソーリ教育法を研究する組織に敷設された施設であり、どちらかというと教育法の実験場や教員養成所としての側面も兼ねていた。

3-6歳の時期において身近にある保育施設といえば、保育園や幼稚園が一般的である。

なお、モンテッソーリ教育の原理は思想に近いものであり、メソッドはあるもののその専門園であるかどうかの国際的な認定機関があるわけではない(個人に対する教員の認定章はある)。

なので、普通の保育園や幼稚園でも「モンテッソーリ教育を取り入れています」と謳っているところもあれば、特に謳っていなくてもその方針がモンテッソーリ教育の思想をほぼ実践しているケースもある。

こどもが主体

私は現在もうすぐ2歳になる子供を保育園に預けているが、今の保育園の様子と大きく異なったのは、すべてが子供を中心に設計されているということだ。

実は、保育園は子供のための施設ではない。働く親を助けるための施設だ。なので、運営方針が決定的に異なる。

いくつか例をあげると、まず大きいのは登園の時間だ。今回見学に行ったこどもの家は9:30-14:00の登園が基本で、水曜だけは午前中のみの登園となる。そして、朝夕の延長預かりの制度も、連携する施設も一切なしである。

普通の保育園から見ると、あり得ないように思うかもしれないが、子供にとってはごく自然なことだ。そもそも、例えば9時-18時までの時間拘束を要求されるのはだいたい何歳くらいだろうか?

答えは、働き始めて以降しかない。小学校は15時ごろには終わるし、高校までいっでも16時ごろには解放されていたのではないだろうか。子供の体力的な問題で、本来このあたりまでが限界なのだろう。

2つめはクラス割りだ。今回行ったこどもの家はだいたい40人程度の子供が在籍していたが、クラスという概念はなかった。

一般的な保育園では1歳児クラス、2歳児クラスという具合に年齢別に大まかにクラス分けがされている。個々人の成長の度合いは異なるものの、大体は同じなのでクラス単位で切って、やる活動を決めて運営した方が効率的なのだ。

これも、少ない人員でなるべく多くの児童を受け入れて、多くの働く親を助けたいという保育園の存在意義に沿ったものであるから、しごく真っ当なやり方だ。

しかし、多くの人間が義務教育を終えた後に気づくことだが、世の中を見回して見ると同じ年齢の人間だけで構成された組織というのは、存在しない。

社会に出てからも、経験豊富なベテランと体力に勝る若手という関係はどこの組織でも見られるし、知識・体力・経験が異なるメンバが組織内にいることが当たり前なのだ。

だれも教えてくれない

こどもの家ではどんな人が何を教えてくれるのか? 答えは、誰も何も教えてくれない。学ぶことは子供自身が見つけなければいけない。そう、「こどもの家」は子供を預けるところではなく、子供が自ら学びにいく場所なのだ。

しかし、子供を助けるための環境は十分に準備されている。広い部屋に一生かかっても遊びきれないのではないかと思える量の教具と、それを助けてくれる専門スキルを有した先生たち。

子供は1日中それらの教具と先生を使って、何をしてもよい。もちろん、何もしないのもよい。

見学で様子を見た際、あるところでは先生が新幹線の写真と日本地図を見せながら、なんという名前か、どこを走っているのか、わいわいとワークショップをやっていた。

一方では本物の包丁とまな板を使って、子供サイズに小さく設計された本物の台所(なんと、本当にガス・水道も使える)で、これまた本物のきゅうりを切っている子供たちもいた。

その他にも一人で黙々と机に向かってお絵描きをする少女、機織りをする少年、ひとりただぼーっとしているぼっちゃまもいた。

先生が主催するワークショップに参加してもいいし、一人で黙々と作業してもいい、何もしないで寝てるのもいい、全て子供が決めるのだ。

まとめ

こどもの家は、言ってみれば我々大人が生きている現実の世界を、そのままサイズだけ小さくして子供に使いやすく設計し直された場所だった。

大人は、住む場所や自分が行う活動を全て自分で決めなければいけない。これを子供にも提供するのがこどもの家だ。

我々は、成人あるいは就職していきなり「社会に出たからには、全て自分の責任で決めなさい」と言われる。自分で決める訓練を一切してこなかったのに。

グローバル化・多様化が進み、誰も正解がわからなくなった世の中だからこそ、自分の意思で決められる機会を子供に与えてあげることこそが、最大のプレゼントなのかもしれない。

唯一親に許されているのは、子供に機会を与えるか・与えないかの判断だけだ。