
朝の習慣をつくるのがいい、ということで始めた早起きの活動ですが、なんとか4日間続いています。
なんか3日坊主は脱した訳ですが、さてこれを習慣化できるかどうかが問題ですね。
過去記事:理想の人生を歩むための朝の習慣。
ところで、こうして朝の活動をしていると、そういえばはるか昔、中学生のころにも似たようなことをしていたなというのを思い出しました。
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中学生の役割
中学生に与えられている課題といえば、毎日の宿題に加えて定期的にやってくる中間テストや期末テスト。
もちろん他にも部活やら塾やらあるかもしれませんが、それは自分もしくは親の都合で始めたことですからね。
社会から与えられている課題という点では、やはり宿題とテストでしょう。
これにどのように接していくか、ということが今後の人生の生き方に直結してくるように感じます。
別に、いい点をとらなければいけないということを言っているわけではないのです。
「あまり気が進まないが要求されていることに対して、どうアプローチしていくか」というのは、その人の生き方を形作ります。
完全に無視して自分のやりたいことだけする、というアプローチもあります。
アインシュタインやニュートンは学校ではそれほど優等生ではありませんでした。
しかし、彼らは自分の情熱を傾けられることにはとことん熱中して、誰にも文句を言わせないような圧倒的な業績を達成しました。
無視するなら、別のことで他人を納得させられることができるか?ということが求められるわけです。
その覚悟なく無視するというのは、ちょっと中途半端です。
当時わたしはそこまでのめり込めることを持っていなかったので、別のやり方をとりました。
ゲームがしたい中学生
今は全然やることもなくなりましたが、当時はスーファミやらプレステやらと、テレビゲームの進化が早かった時期で、ゲームをするのが一番の楽しみという状態でした。
ですので、放課後に部活を終えて家に帰ってきたらやるのはまずゲーム、そんな状況でした。
しかし、そんなに自由にやれる時間があるわけでもなく、親が仕事から帰ってくるまでのほんの1時間程度の短い時間です。
そのあと夜にかけては原則禁止であり、宿題やら食事やら風呂掃除やらの定型業務が理想的に終わったごく限定的な条件下でのみ、許されていた状況です。
ただ、これらの作業がなんの活動も許されなくなる21時以前に全て終わることはほとんどあり得ず、結局深夜まで残った残業(=宿題)をするという、サラリーマンのような生活をしていました。
朝の自由な時間
もっとゲームがしたいのに、その時間がない。
そう考えていた中で編み出したのが、朝の時間でした。
まだ家族が寝静まっている早朝に、ひとり起きてゲームをやっていました。
当時親からは呆れられましたが、誰にも迷惑はかけていないので特に咎められることも、やめさせられることもありませんでした。
自分でもあまり褒められたことはしていないな、と思ってはいたのですが、どうでしょう。
この朝のゲームをやっていた期間、テストの成績はものすごく調子がよかったのです。
朝食の時間には、もう起きてから2時間近くたっているので、頭も明晰です。
登校時間ギリギリに飛び込むようなこともありませんし、朝イチの授業で集中力が途切れるようなこともありません。
学校から帰ってきた後の短い時間のゲームは引き続きやり、夜になって親が帰ってきたあとの時間には、十分とも言える量のゲームをこなしているわけですから、もう迷いはありません。
淡々と宿題やらをこなし、明日朝のゲームを楽しみに寝るだけです。
この時のやりたいことはゲームだったわけですが、これを押しのけてやりたくない宿題をやっている時というのは、極めて効率が悪かったのです。
しょっちゅう手を止めては、攻略本を読んだり、ゲーム雑誌を読んだり、はては説明書を読んだりしてゲームやりたい熱を紛らわせていました。
そういう細かな無駄の積み重ねが、中学生生活というQuality of Lifeを悪化させていたのです。
まとめ
中学生とゲームというささいなことですが、本質としてして何事でも同じだと思います。
やりたいことを先に済ませて、やりたくないが生きるために必要なことは、淡々と後から行うのが生活の質を向上させるもっとも合理的な手段です。