2000年代に入って、インターネットは普及期に入り、それまでマニアの遊び場だった場所は、現実から陸続きの空間へと変わっていきました。

Webサイト、ブログ、mixi, twitter, facebookと次々に形を変えては来ましたが、それらが一貫して提供してきたのは、ネット上でのつながりの拡大でした。

そして、情報発信のハードルは下がり続け、今やかなりITに疎い人でも容易にネット上でのコミュニケーションが取れるようになりました。

現在のSNSは、登録するや否や、電話帳のデータや位置情報が許可したら自動的に吸い上げられ、現実の友達に知らされます。

まるで、「おーい!こいつはここにいるぞ!」と自分の居場所をネット上で晒されたような感覚です。

わたしのような人種は、これを恐怖に感じていました。

自分が少年時代を過ごした、あの地方の相互監視社会を思い出せるからです。

目に見える限り誰もいない。出歩いても誰にも会わない。

そんなことは分かっているのに、何故か家から出るのがためらわれた、あの感覚です。

 

理想の社会はどこにある?

進学や就職に合わせて、このような関係性の残る地方から、逃げるように大都市圏に出てきた人も多いんじゃないでしょうか

そのような人たちにとっては、大都市の人ごみに紛れる匿名性が心地よかったんだと思います。

これと同じような感覚が、勃興当初のネット社会にはあったのでしょう。

今やその感覚は薄れ、ネット社会は自らの名前と身分を明かして会話する公共の場へと変わりました。

ネットを支えるサービスや法律も、これを促すように整って来ています。

ユーザー同士で監視しあい、権力によって管理される……。

われわれが夢見たのはそんな社会ではなかったはずです。

 

まとめ

ネットから切断されたところで行われるコミュニケーションやつながり、こういった所に価値が生まれていくような気がしています。

そして、そのような交流を促す仕組みを作ることが、今後求められてくると感じています。

かつての資本主義的な場所でも、今の相互監視的ネット社会でもない、新しい場所ははたしてどこにあるのでしょうか。

 

さよならインターネット - 家入一真 (著)