今回も、アドラー心理学について記された「嫌われる勇気」から、幸福に生きる方法を探っていきましょう。

前回の記事で、自分の弱さをと残された可能性を受け入れることが幸福に生きるための一つのカギであるという話をしました。

この世でもっとも強い者

これはいわばアドラー心理学の「守り」の部分であり、今回は一転して「攻め」の部分、すなわち人生の下り坂を積極的にを登って行く方法について、考えてみたいと思います。

 

すべての悩みは、対人関係の悩み

なぜあなたは自分が嫌いなのか?なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとし ているのか?それはあなたが 他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからなのです。

哲人いわく、すべての問題は、つきつめていくと対人関係のなかに原因があるといいます。

対人関係というと、どちらかといえば些細な問題であって、人生にはもっと夢とか、地位や名誉、お金など方が重大な悩みのように思えます。

しかし、上記のようなものをすべて手に入れ、巨万の富を得たとしても、残るとしたらどんな悩みか、どんな不自由か考えると、やはりそれは対人関係の悩みだと思います。

ちょうど、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」でカオナシが千尋に金を渡そうとして断られるシーンが思い浮かびますね。

あのときカオナシは何に取り憑かれていたのでしょうか。

それは「承認欲求」です。

 

承認欲求のために生きるのをやめる

人間誰しも人の役に立ちたい、そう思って生きています。

「みんなの笑顔がみたいから、わたしは犠牲になってもいい」という心構えはとても美しく、賞賛されるべきものに見えます。

しかし、そういう想いから身を削って仕事やボランティア、家事、育児などに精を出した結果、相手から何らか対価はおろか、感謝すらされなかったとき、あなたはどう思うでしょうか。

「嫌な気分になる」と思ったら、それは承認欲求のために生きています。

嫌な気分はじきに憎しみに変わり、相手を攻撃するようになります。

何かの施しを受けた時に、対価を払うか、感謝をするか、何もしないかは、受けた側に選択権があります。

だから、承認欲求のために生きるということは、自分の生き方を相手に委ねることを意味しているのです。

 

まとめ

今の自分の能力を過大評価も過小評価もすることなく、ありのままに受け入れることができたら、あとは行動あるのみです。

しかし、その行動をしようと思った時一度立ち止まって以下を自問してみてください。

「今からやる行動が、誰からも感謝すらされなくても、自分は嫌な気持ちにならないか?」

noだと思ったならば、あなたはそれをしてはいけません。

仮にそれが、「誰かに嫌われる」原因になってしまうとしても。